住職紹介
プロフィール
平成元年に立正大学仏教学部を卒業、父が最上稲荷に勤めていたご縁で、私自身もお世話になり最上稲荷に勤めています。祖父が遷化し(亡くなった)後任として、平成4年に本住寺の住職だった父が倉敷市真備町箭田の法華寺を継ぎました。父の後を受けて倉敷市真備町服部の本住寺の住職となり、山梨県身延の総本山で認証を受けました。
お寺の仕事は、普段は最上稲荷の職員のため、お盆などの忙しい時期に、他の2ヶ寺もあわせて手伝っていたというのが本当のところです。先々代の住職婦人がずっと住んでおられたこともあり、住職という意識はあまりなく過ごしておりました。
お寺の仕事は、普段は最上稲荷の職員のため、お盆などの忙しい時期に、他の2ヶ寺もあわせて手伝っていたというのが本当のところです。先々代の住職婦人がずっと住んでおられたこともあり、住職という意識はあまりなく過ごしておりました。
そんな中、これからどのように生きるのか? 社会にどう役立っていくのか?様々な想いが渦巻いている自分がいました。
そして結婚を機に、平成10年に千葉県中山の百日間の荒行堂に入りました。翌年、成満できたことで、本住寺を背負い地域に貢献することが、仏さま、日蓮聖人、歴代先師の諭すところだと気づいたのです。
あれから約10年、うっそうとした木や竹に囲まれ、昼もなお暗いお寺でしたが、このたびの事業で生まれ変わったように見晴らしもよい、明るく開けたお寺になりました。
それもこれも総代さんや檀家さんの熱い応援があったればこそ。おかげさまで、本堂と客殿を建て替えることができ、平成22年に落慶式典を修め、新しい本住寺のスタートを切ることができたのです。
皆さまのご支援の下、この妙見山本住寺も、そして私自身も新しい一歩を踏み出したのですから、こんなにうれしいことはございません。この喜びを深くこころに刻み、よき人間関係を築き深められるお寺にして行きたいと思います。
お寺はこぢょっこらとした佇まいで、かわいらしい規模ながら、人と人とがふれあう温かさは日本一のお寺を目指してまいります。こぢょっこらと…。
そして結婚を機に、平成10年に千葉県中山の百日間の荒行堂に入りました。翌年、成満できたことで、本住寺を背負い地域に貢献することが、仏さま、日蓮聖人、歴代先師の諭すところだと気づいたのです。
あれから約10年、うっそうとした木や竹に囲まれ、昼もなお暗いお寺でしたが、このたびの事業で生まれ変わったように見晴らしもよい、明るく開けたお寺になりました。
それもこれも総代さんや檀家さんの熱い応援があったればこそ。おかげさまで、本堂と客殿を建て替えることができ、平成22年に落慶式典を修め、新しい本住寺のスタートを切ることができたのです。
皆さまのご支援の下、この妙見山本住寺も、そして私自身も新しい一歩を踏み出したのですから、こんなにうれしいことはございません。この喜びを深くこころに刻み、よき人間関係を築き深められるお寺にして行きたいと思います。
お寺はこぢょっこらとした佇まいで、かわいらしい規模ながら、人と人とがふれあう温かさは日本一のお寺を目指してまいります。こぢょっこらと…。
本住寺住職 熊代隆瑞
経歴
昭和42年(1967) | 1月9日生誕 |
---|---|
昭和54年(1979) | 真備町立箭田小学校卒業 |
昭和57年(1982) | 真備町立真備中学校卒業 |
昭和60年(1985) | 岡山県立矢掛高等学校普通科卒業 |
平成元年(1989) | 立正大学仏教学部宗学科卒業(宗立学寮も卒寮) |
平成元年(1989) | 4月最上稲荷法務職 11月最上稲荷山大荒行初行成満 |
平成4年(1992) | 真備町服部 本住寺住職に就任 |
平成9年(1997) | 妙紀(由紀)と結婚 |
平成10年(1998) | 山形県最上郡真室川町 日蓮宗釜渕教会を復興、代務 |
平成11年(1999) | 日蓮宗遠壽院大荒行堂初行成満 |
平成12年(2000) | 倉敷市西岡に坊舎游熊庵を構える |
歴代住職
代数 | 住職名 | 入寂 | 備考 |
---|---|---|---|
当山開祖 | 大覚大僧正妙実上人 | 貞治3年(1364)4月3日 | 68才 |
第2世 | 見明院日要上人 | 明徳3年(1392)4月5日 | |
第3世 | 教覚院日観上人 | 享徳2年(1453)3月13日 | |
第4世 | 要法院日教上人 | 長享2年(1488)5月15日 | |
第5世 | 信立院日妙上人 | 天正5年(1577)1月11日 | |
第6世 | 本明院日見上人 | 天正7年(1579)3月19日 | |
第7世 | 圓長院日立上人 | 天文8年(1539)8月13日 | |
第8世 | 理性院日要上人 | 文禄3年(1594)9月18日 | |
第9世 | 即妙院日行上人 | 慶長3年(1598)7月15日 | |
第10世 | 本立院日達上人 | 元和9年(1623)10月17日 | |
第11世 | 成就院日義上人 | 寛永4年(1627)3月13日 | |
第12世 | 唯心院日栄上人 | 慶長15年(1610)3月18日 | |
第13世 | 一妙院日住上人 | 寛文7年(1667)9月22日 | |
第14世 | 大乗院日看上人 | 天和3年(1683)9月22日 | |
第15世 | 智宣院日前上人 | 享保9年(1724)9月13日 | |
第16世 | 感善院日諦上人 | 宝永4年(1707)10月19日 | |
第17世 | 玄明院日法上人 | 享保12年(1727)11月5日 | |
第18世 | 理明院日通上人 | 享保17年(1732)10月7日 | |
第19世 | 教智院日好上人 | 延享3年(1746)8月12日 | |
第20世 | 光善院日寛上人 | 明和元年(1764)12月16日 | |
第21世 | 唯見院日進上人 | 天明7年(1787)12月9日 | 妙見堂再建棟札に |
第22世 | 心静院日道上人 | 享和3年(1803)1月22日 | 妙見堂金丸に |
第23世 | 通善院日定上人 | 文政9年(1826)11月18日 | 古い位牌に |
第24世 | 正心院日遂上人 | 安政6年(1859)10月8日 | 祖師像下に |
第25世 | 不詳 | ||
第26世 | 不詳 | ||
第27世 | 妙心院日養上人 | 明治32年(1899)7月31日 | 妙見棟札 祖師像下に |
第28世 | 妙心院日養上人(再住) | 墓石に | |
第29世 | 真明院日照上人 | 明治38年(1905)7月24日 44才 | 墓石に |
第30世 | 学信院日善上人(水島学信) | 昭和20年(1945)2月25日 77才 | 妙玄寺15世 横谷妙泉寺で遷化 |
第31世 | (秋山泰秀)上人 | 昭和 | 大覚寺3世・常昌院9世 |
第32世 | 智宏院日逞上人(船越智宏) | 昭和52年(1977)3月23日 70才 | 墓石に |
(代務) | 霊光院日行上人(熊代孝元) | 平成元年(1989)7月12日 | 法華寺44世 |
第33世 | 光謙院日紹(熊代隆勝) | 昭和52年7月~平成4年8月 | 法華寺45世へ |
第34世 | 瑞孝院日政(熊代隆瑞) | 当代(平成4年8月~) |